てこの原理

言葉はうまくありません

少女終末旅行6巻を読んだ ※ネタバレを含みます

少女終末旅行の6巻を読んだ。

しばらく前にネットカフェで全巻読んではいたのだが、

今回きちんと購入し、手元におくことにした。

しかしながら、この漫画を置くことには決心がいる。

二人の終末を見届けるのがこの漫画の終末であるからだ。

読んだことがある方はよくわかるように6巻では彼女たちの終わりが描かれる。

直接的に死を描いてはいないため、生存説や、異世界にとばされたなど、いろいろな解釈ができなくはない。

しかし私にはそうは思えない。彼女たちはすぐ眠るように息を引き取ったかもしれないし、少なくてもあまり長くはないだろうというのが私の解釈だ。

人は急に生まれ急に死ぬ。そこに意味はないというのが少ない想像力しか持ちえない私の考えだ。

それでも私もつくみず先生の横でチトとユーリがポトフを食べていてほしいし、セブンティーンアイスを持つ二人がいてほしいと思う。

そこで彼女たちは死後転生し、大学生の関係性で生きているという私にとっての解釈で二人を見ようと思う。

私はこの結論でこの作品を昇華することができた。むしろそうせざるを得ないほど彼女たちに共感していた。この作品にはそれほどの重力がある。たまにこういう作品に出会うとうれしくなる。しかし大切だがあまり見返せない作品になる。

こういう作品にはパターンがあるように思う。

二人の話。始まりの前に大切な人物はもういないか作中で死を迎える場合が多い。その欠落が哀愁となって煙る。終劇で主人公が死を迎え、大切な人間の幻影をみて終わる。

考えてみればこれは人の営みの最小単位だ。私はこの構造に特に惹かれる。言い換えればそういう大切な人間を少数求める趣向なのだろう。

この記事の終末が見当たらなくなってきた。この記事は急に終わっても特に悲しくはならない。せいぜい急に死なないように気をつけて生きることにしよう。